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TOP > 小林耳鼻咽喉科医院 日記 > 吉田松陰と松陰神社~ 公式HPより
吉田松陰は、天保元年(1830)8月4日
長州藩(現在の山口県)萩松本村で,
毛利藩士であった杉百合之助常道の次男として生まれました。
松陰というのは号で、名前は矩方、通称寅次郎。幼い頃は虎之助と呼ばれていました。
ペリーが艦隊を引き連れて日本にやってきた時に、
吉田松陰は下田沖に停泊中であったペリーの軍艦にむけて、
夜小船で漕ぎ出しました。
軍艦に乗船し米国に連れて行ってもらえるよう懇願しましたが、
認めてもらえず、
自首し海外渡航を計画した罪で江戸伝馬町の獄に投獄されてしまいます。
安政2年、吉田松陰は杉家に戻ることを許されました。
杉家でも勉学に励み、家族に孟子などの講義を続けました。
そして以前に叔父の玉木文之進が開いた
「松下村塾」という塾を開きました。
松下村塾は僅か2年間しか開塾していませんでしたが、伊藤博文、木戸孝允、山縣有朋など、後の明治維新を成し遂げた数多くの若者達が巣立って行きました。
吉田松陰は安政6年10月27日、安政の大獄に連座して
30歳の若さで刑死されました。
その4年後の文久3年、吉田松陰の門下生であった
高杉晋作、伊藤博文等によって世田谷若林の地に改葬されました。
神社所在地一帯は江戸時代から
長州毛利藩藩主毛利大膳大夫の別邸のあったところで
大夫山と呼ばれていたそうです。
明治15年11月21日門下の人々が墓畔に社を築いて
先生の御霊を祀り忠魂の鎮座するところとなりました。
今日の社殿は昭和2年から3年にかけて造営されたものです。
近年は学問の神として崇敬を集め、
参拝者は全国各地に及んでいます。
桜の綺麗な境内を是非ご覧になってみて下さい。